東京高等裁判所 昭和26年(ネ)2285号 判決
控訴代理人は原判決を取り消す、被控訴人の請求を棄却する、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とするとの判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張、証拠の提出、援用、認否は被控訴代理人において甲第五十ないし第五十三号証を提出し、当審における証人伊野仲明、同川辺良助、同内田力、同秋山律の各証言を援用し、乙第九号証の一ないし十一、同十号証の一の各成立を認める、同第十号証の二の成立は知らないと述べ、控訴代理人において乙第九号証の一ないし十一、同第十号証の一、二(乙第七、第八号証は欠号)を提出し、当審における証人渡辺万代吉、同田中為一郎、同秋山喜一、同田中正吉、同藤田林太郎の各証言を援用し、甲第二十ないし第二十七号証の各一、二、同第二十八ないし第四十七号証、同第四十八号証の一、二の各成立は知らない、同第四十九号証中登記所作成部分の成立は認める、その余の部分の成立は知らない、同第五十ないし第五十三号証の成立を認めると述べた外、すべて原判決の事実らんに記載されたところと同一であるから、ここにこれを引用する。
三、理 由
別紙目録記載の土地がいずれも被控訴人の所有地であつたこと、右土地につき府中町農地委員会が昭和二十四年二月十九日に、昭和二十年十一月二十三日現在における不在地主の小作地として、同日以降引続いて耕作の業務を営んでいる小作農の請求によりいわゆる遡及買収計画を定めたこと被控訴人は右買収計画を不服として府中町農地委員会に異議の申立をしたが却下され、さらに東京都農地委員会に訴願したけれども、これもまた昭和二十四年六月七日附裁決で棄却され、同月十六日その裁決書謄本の送付を受けたことは当事者間に争いがなく、「農業委員会法の施行に伴う関係法令の整理に関する法律」(昭和二十六年法律第八十九号)附則第三項により右府中町農地委員会のした行為又はこれに対してした行為は控訴人のした行為又はこれに対してした行為とみなされるところである(以下右府中町農地委員会をも控訴人とよぶ)。
しかして被控訴人がもと本件土地のある東京都北多摩郡府中町の肩書現住所に居住していたが、昭和十二年十月はじめ頃南多摩郡多摩村に移住し、右昭和二十年十一月二十三日当時も同村に住所を有し、本件土地のある右府中町には居住していなかつたこと、当時別紙目録記載のうち(イ)(ロ)(ハ)の土地は訴外田中源太郎、同(ニ)(ホ)(ヘ)(ト)の土地は訴外関田孫一、同(チ)(リ)の土地は訴外梶竜蔵、同(ヌ)(ル)(ヲ)(ワ)の土地は訴外梶政好においてそれぞれ賃借して耕作の業務に従事し引続き右買収計画の時にいたつたもので、いずれも小作地であることも当事者間に争いがない。
本件買収計画は当時効力を有した自作農創設特別措置法(昭和二十二年十二月二十六日公布、法律第二百四十一号による改正のもの、以下これを自創法という)第六条の二第一項の規定によるものとして定められたことは本件弁論の全趣旨から明らかであるから、前記の事実からすれば、本件土地は昭和二十年十一月二十三日現在においていわゆる不在地主の小作地として自創法第三条第一項第一号により買収計画の対象となるべきものであることはいちおう肯定すべきもののように見える。
これに対し被控訴人はまず、当時被控訴人は在村地主とみなさるべきものであると主張するので、被控訴人が当時右多摩村に居住し本件土地のある府中町に住所を有しなかつた事情について検討する。成立に争ない甲第十四号証、乙第五号証原審及び当審における証人秋山律の証言により成立を認めるべき甲第二十ないし二十二、第二十四、第二十七号証の各一、二の各記載、原審における証人比留間平蔵、伊野竹治、藤田林太郎、梶竜蔵、高橋寛重、梶政好、当審における証人伊野仲明、秋山喜一、渡辺万代吉、田中為一郎、内田力原審及び当審における証人秋山律(原審は第一、二回とも)の各証言、原審における被控訴人本人尋問の結果並に本件口頭弁論の全趣旨をあわせると、被控訴人は父秋山孫四郎の娘で昭和九年一月中夫秋山律(旧姓伊野)を事実上の婿養子として迎え肩書住所に同棲したが、これについて被控訴人の親戚の一部に難色を示すものがあり、その入籍手続がおくれているうち、戸主であつた父孫四郎が死亡したためいつたん被控訴人においてその家督相続をした上、同年八月二十四日にいたりようやく律が被控訴人と入夫婚姻する旨の届出をし、同時に戸主となつたのであるが(本件土地は当初右孫四郎の所有であつたのを被控訴人が相続により取得したもののようであるが、当時被控訴人において法定の手続により財産留保をしその他特段の事情のない限り、右律の入夫婚姻による家督相続により律の所有に帰するのではないかとの疑があるけれども、すでに本件土地が被控訴人の所有であることは当事者間に争ない以上これをせんさくすべき限りでない)、昭和十二年十月当時右律は予備役陸軍歩兵一等兵であつたが支那事変の発生とともに同年兵であつた友人らは続々応召し、律にも遠からず召集令状が来るものと予想される状態であつたところ、律は被控訴人の入夫であり、前記のようないきさつもあつてとかく被控訴人の近親者と折合が悪く、一面律においても近隣の人々の出征の見送をしなかつたり防空演習に参加しなかつたりして近所の人々の感情をひどく害しており、特に消防団員とは仲が悪く常に排斥されているというありさまであつたので、律は自分の応召した後に残る妻子の生活を不安に思い律の生家のある多摩村に一時移住している方が安泰であると考え、当初はその実兄、伊野仲明方の一部を借りようとしたが、たまたま同村にある高橋寛重の所有家屋(もと駐在所に使用されたもの)が空いていたので、これを借りることとして、家財道具も当座必要のものだけ持つて、その余の大部分は府中町の家に残し農具などもそこにおき、これを空家としたまま右多摩村の家に移転したが、その後十日あまりして予想どおり律に召集令状が来て同人は応召したこと、律の応召前被控訴人所有の農地は本件の分を含めてその大部分は被控訴人方で一家の支柱である律と被控訴人とが協力し作男に手伝わせたりして自作していたが、被控訴人は夫律の応召後その秋のとり入れだけはどうにかすましたが、その後は女手一つで耕作を続けて行くことが困難となつたのでこれを姉の夫で府中町在住の藤田林太郎に預けて耕作を依頼し(その後藤田方でも子供が応召したりして手不足になつたので被控訴人の承諾を得て他に転貸するにいたり、本件土地は前記のとおり田中源太郎外三名が耕作するようになつた)府中町の住家にも留守番をかねて他人を住まわせることとし、自分はかくべつの職につかず引続き多摩村にあり、後には右高橋方の借家から律の実兄仲明の近所に十五坪ほどの一戸を建ててそこに移つたこと、その後律は昭和十五年一月三十日いつたん召集解除となつて帰還したので前のように府中町で農業に従事するつもりで藤田に土地を返してくれるよう交渉し藤田もこれを承諾したが、府中町の住家には他人が住んでいてすぐには戻ることができず、別にその附近に住家を建てはじめたが、土地の返還がのびのびになつている間に律は昭和十六年十月四日再び応召し(右律の召集解除及び再度応召の事実は当事者間に争がない)、従つて被控訴人はまた前のとおり多摩村にいることとなり、同所において終戦を迎え前記昭和二十年十一月二十三日当時もそこでひたすら律の帰還を待つていたのであるが、同年十二月十九日府中町の住家の一部があいたので、ここに立戻り今日にいたつていること、一方律はビルマ方面にあつて終戦を迎え、翌二十一年六月頃、家族への文通が許されるようになつてからは、しばしば同地から被控訴人に本件土地の貸借関係、耕作状況等を問合せ昭和二十二年一月十一日附の葉書では府中町の住家をあけてもらうよう交渉すべき旨を指示し、その頃同地で食料として入手した稲籾も種籾として保存したりして帰還後の農耕を期しており、昭和二十二年三月帰還後は被控訴人の肩書住所にあつて同人とともに適法に返還を受けた農地約六反五畝あまりを耕作して今日にいたつていることを認めるに十分である。
もつとも前記証人比留間平蔵、藤田林太郎、梶竜蔵、関田孫一、秋山喜一、渡辺万代吉らは、被控訴人が夫律とともに多摩村に移住したのは律が被控訴人の近親や隣人と折合が悪く排斥されたため府中町にいたたまれなくなつたのであると供述するけれども、律にこのような事情があつても召集必至という事情がなければ移住する筈のないこと前記証人秋山律、伊野仲明らの証言からおのずからうかがわれるところであるから、被控訴人をして多摩村に移住せしめた決定的な事由は律の応召ということにあるものとするに妨げはない。
右移住に際して律が本籍も多摩村に移したことは当事者間に争ないところであるが、右証人秋山律、内田力の各証言によれば当時一般に召集事務関係者からの要望もあり、令状を速かに受取るために本籍を現住所に移すものが多く、右律もまたこれに従つたものであることが明らかであるから、右の事実は多摩村への移住が律の応召のためによるものであつたことの証とこそなれ、これをもつて律及び被控訴人が多摩村に永住する意思であつたことを示すものということはできない。
前記当審証人秋山喜一、同秋山律の証言によれば被控訴人は多摩村へ移住の前後府中町の住家の屋敷内にある立木を相当数伐つたことが認められるが、これも右証人秋山律の証言によれば、律は昭和十年か十一年頃にも庭の日当をよくするために庭木の一部を伐つたことがあり、律の応召後被控訴人の伐つた分は隣家から日当が悪いとか風が吹くたびに枝葉が自分の方に落ちるとかの苦情があつてしたものであることがうかがわれるから、庭木を伐つたからといつて直ちに被控訴人らに府中町の家に戻る意思がなかつたものということは当らない。
また被控訴人は多摩村で当初の借家を引払い、あらたに一戸を建築してここに住んだことは前記のとおりであるが、当審証人伊野仲明、秋山律の各証言によればそれは右借家が風通し悪く、また盗難にあつたりしていやになつたためで、その外にはかくべつの理由のないことがうかがわれるから、このこともまた被控訴人が多摩村に永住する意思であつたことを認めなければならないほどのものではない。
以上の外前段認定の事実に反する証拠は採用せず、その他に右認定をくつがえすに足りる的確な証拠はない。
してみると被控訴人が府中町を去つて多摩村に移住したのは、夫律の応召のためという止むを得ない事情にもとずくものであり、それも支那事変の拡大、大東亜戦争への発展という予測しがたい事情のために府中町のもとの住所に帰ることがおくれたものであるが、その間夫の帰還後は再びもとの住所で本件土地の耕作に従事しようとする意思であつたものと認めるべきものである。この事由は自創法第四条第二項にいう農地の所有者についての「特別の事由」である自作農創設特別措置法施行令第一条第三号の「昭和二十年八月十五日以前の召集」という事由そのものではないが、これに準じて法定の特別の事由あるものと解するのを相当とする。しからば被控訴人はいわゆる在村地主と認められるべきものであるから、すでにこの点において控訴人は昭和二十年十一月二十三日現在の事情にもとずいても同法第三条第一項第一号によつては買収計画を定めることができないものといわなければならない。しかも本件土地は自創法第五条第六号に該当するものと認めるべきことは前記認定の事実及びこの点に関する原判決の説示とによりおのずから明らかである(この点につき原判決理由を引用する)。
しからば本件の買収計画は違法であることは明らかであり、その取消を求める被控訴人の本訴請求は正当として認容すべきものであつて、これと同旨の原判決は相当であるから、本件控訴は理由のないものとして棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十五条第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 藤江忠二郎 原宸 浅沼武)
(目録省略)